幽遊白書で激しく共感して勇気をもらったのが飛影や蔵馬達が昔は越えられなかった壁を克服して、「何でもできる自分」を取り戻して、さらに進化していくところ

僕にとって幽遊白書は、
「子供の頃は何でもできた」のに、
成長する過程で「できない自分」になってしまったけど、
サバイバルの中で自力で壁を壊して「何でもできる自分」を取り戻していく、
さらにはその先の世界へ飛び立っていく話だというところ(私個人の感想です)が、
非常にシンパシーを感じて好きだったところでした。

特に、飛影と蔵馬の生きざまにしびれましたね。

飛影は、陰気な故郷である氷河の国で母親の氷菜(ひな)が出産。しかし、氷河の国の決まりで魔界の森へ投げ捨てられます。
そのとき飛影は、母親が飛影とその妹(雪菜)を産んだときにこぼした氷泪石(ひるいせき)を形見のように持たされました。
飛影は幼いながらもその時のことを覚えていて氷河の国への復讐を生きる目的にして生きていく。
氷泪石は希少な宝石とされていたため、それを餌に妖怪をおびき寄せる飛影は常に妖怪と戦う人生に。
そんな飛影は強くなりすぎてA級妖怪にまでなってしまい、次第に妖怪から狙われなくなりました。
敵となる妖怪がいなくなったことで飛影は時間的余裕を持つようになり、氷泪石を眺めることが多くなります。
飛影は氷泪石によって心が落ち着くことに気づき、子供の頃の復讐目的ではない、純粋な興味から氷河の国を探すことになります。
しかし敵との戦いのとき、油断から妹(雪菜)の氷泪石を失くしてしまいます。
失くした氷泪石と氷河の国を見つけるためという目的で、自らの力がまったくなくなるけど探し物が見つかりやすくなる第3の目「邪眼」の手術を受けます。
その結果、せっかく鍛えた妖力が雑魚妖怪レベルのD級まで下がった飛影。
しかし、飛影はそのあとの人生で数々の戦いを経て、ピンチには仲間の助けを得ることで生き延びて、仙水との戦いのときに邪眼を移植する前に相当するような妖力を発揮、
そのあとは邪眼移植前の妖力を完全に超えて、魔界の3大妖怪のうちの1人である軀の片腕になるまでになりました。

・・・と、大雑把に飛影の足跡を追って、何が言いたかったというと、

A級妖怪になり、敵なしとなる

邪眼の手術で雑魚レベルのD級妖怪まで妖力が落ちる

その後のサバイバルや幽助たちとの出会いを経て、以前のA級妖怪のレベルに達する

その後も妖力を上げるだけでなく、幼少期の恨みやモヤモヤを乗り越える
という過程に非常に共感したんです。

なぜなら、当時中学生だった自分は、
何でもできると万能感があった小学生低学年

転校して見知らぬ偏狭な田舎で肩身が狭い思いを抱き始めた小学校高学年から暗黒時代が始まり、
中学生時代は、窮屈でそれ以外の道がまるでないのかのように思える社会のレールしかない恐怖におびえていた時代でした。

僕の実人生で経済力、生活力がなく、親に守られることでやっと生活できていた中学生の頃、
社会のレールのような画一的な生き方以外に何かあるのではともがく。
でも、自分では、やりたいことを見つけることができず、自分だけ違う道を歩む勇気もない。
世の中の仕組みがどうなっているのか何も知らない上に力不足でどうにもならなかった。
社会のレールの範囲内でしか動けず、不自由で、言いなりにならざるを得なかった頃、
学校に行くのが当たり前、行かないのは落ちこぼれ、出来損ないのごみのように周囲からみられていて、自分もそのような思考をしていた。

そんな時に、その社会のレールから脱出する方法がないかと心のどこから思っているときに
一筋の光がさしてきました、それが幽遊白書の飛影や鞍馬のストーリーでした。
また、戸愚呂弟、玄海、雪菜たちも「昔は乗り越えられかった壁を自力を高めたり友人や知人の助けを得て解決して新しい世界へ進んでいた」ことにも励まされていました。

僕にとって幽遊白書はその中学の苦難の時代に[自分らしく生きるためにはどうすればいいか]そのヒントや、突破する勇気を少なからず与えてくれた、まさに光のような存在だったのです。

そこから、「いろいろできるタイプの自分」を取り戻すまでは紆余曲折があるのですが、
いつでも心のどこかに幽遊白書と冨樫先生の存在が自分の道をひり開くための心の支えになっていました。

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